四川地震 母が子へ携帯に遺書
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母親の顔は、もううっすらとしか浮かんでこない。
あの人は何の為に生きていたんだろうか。
おそらく結婚してからの大半は『子供の為』だったろうな。
親の心 子知らずとはよく言ったもので、当の子供は『自分の為に生きろよ』と思っていたことを知っていたかどうか。
『誰かの為に』というのは、わずかな違いで『誰かのせいで』にとって変わる。
だから何事も『自分の為に』と考える人間の方が信用できる〜なんて考えが己の軸だった訳だが。
最近、白い天井を見ながらふと思う。
一度でも『誰かの為に』動いたことがあったか。
すべて『自分の為』だったか。
もしそうなら寂しい人間だと周りには映っていたんだろうな。
自分が最後の時を迎えた時、この母親さんのように何かを遺せるだろうか。
自分の為ではなく、大切な誰かの為に。
遺す。
いや。考えてる時点でダメか(笑)
まあとりあえず、その時に何かしら答えはでるだろう。
『自分の為に』生きたか。
『誰かの為に』生きたか。
さて、どっちがわたし好みの綺麗事かな?
2008年05月21日
この記事へのコメント
濃い薄い広い狭いは様々に、貴方との交流の記憶は沢山受け継がれていくと思うけど。
Posted by すっぽに at 2008年05月21日 21:16
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